新1万円札の顔 渋沢栄一氏

お金

2024年4月〜刷新スタート

来春から刷新される新1万円札。40年ぶりの大幅なデザイン変更だそうです😯 1万円札の顔、福沢諭吉さんから渋沢栄一さんへと変更になりますね。この二人は同じ時代を生きていた人ですが、物事の考え方は大きく違っていました💡対極的な性格ですが、日清戦争を機にお互いをリスペクトする様になったそうですよ🌱

渋沢栄一の生い立ち

1840年埼玉県生まれ。もともとは農民生まれの貧しい育ちでした。12歳の時、読書に夢中になりドブに落ちたという逸話があるほど勉強熱心な方だったそうです。16歳の時、年貢の取り立てが自宅に来ます。500両の支払いを命じられ、父に確認してお返事します。そう伝えると代官は大激怒。ここで渋沢は農民の身分は不合理だと感じ、幕府の封建制に対する疑念を抱く様になったのでした。 馬鹿にされて悔しいとただ感じるだけでなく、江戸の身分制度がおかしいのだと考え、塾に入り勉学に勤しみ才能のある仲間を増やしていきました。

幕府の腐敗を洗濯!

江戸で学んでいた頃の出会いがきっかけで、渋沢氏は一橋徳川家の家来となりますパリ万国使節団として数年間日本を離れ、ヨーロッパ各国の政治制度や近代産業を学びました。帰国後、新政府から渋沢へ声が掛かります。当時は日本中の優秀な人材に目を光らせ、「この人は優秀な人材だ!」と思ったら即採用していたそうです。スカウトを通して、大隈重信氏から大蔵省に誘われて、渋沢氏は様々な制度改正を手がけます

大蔵省で200もの改革を行った

現代なら数年単位で行われる改革を1人の力で200以上の改革を行いました。1例として、全国の測量や租税制度の改正、貨幣制度の改革など。当時の新政府は少数精鋭だったからこそ、早いスパンで改革が行えたのですね。1年は365日ですから、2日に1回以上は改革を行っていた事になります😯 人間業ではないですよね。

500超の会社を起こし日本資本主義の父へ🇯🇵

1873年、33歳の頃、新政府でも活躍していた渋沢氏はある時、キッパリと新政府をやめました。 大蔵省の官僚として第一国立銀行の創設を主導し、退官と同時に移籍しました。渋沢氏は「民間にいい人材がいないから、官民のバランスが悪いんだ。自分は民間に行き商業社会に尽くす!」と考え、500近い会社を設立し、日本の経済発展に尽力しました。

  • 設立した会社の例
  • 帝国ホテル
  • 東京海上日動
  • 日本郵便
  • 東京電力・東京ガス

知らない人はいない名だたる会社ばかりですね。こうして、私達が生活を送れているのも渋沢氏のお陰です。感謝ですね🍀

精神の柱「論語」

渋沢氏が企業を設立していく中で大事にしていたのは「論語」=道徳です。みんなを良くする為にはどうしたら良いか?という倫理観を持っていたからこそ、企業だけではなく国全体を発展させる事が出来たのですね✨これは、私生活や仕事においても言えることだなと改めて考えさせられます。今の日本の政治を見たら、渋沢氏はどうお思いになるでしょう?

「論語と算盤」

最後に、渋沢氏は自身の考えを書いた本を出版されています。それは論語と算盤です。有名な著書ですが、内容が固そうと手に取るのに躊躇されている方もいらっしゃると思います。漫画版もあるので、楽しみながら読めますよ📚私のお気に入りの1冊です。



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